イースター島のモアイはどうやって運んだのか、歩いたという説と僕が夜中に考えたこと

都市伝説・陰謀論
「イースター島のモアイはどうやって運んだのか、歩いたという説と僕が夜中に考えたこと」をAmazonで探す最安値・在庫をチェック見てみる

南太平洋のど真ん中に、ラパヌイという小さな島があります。チリの本土から3,700キロほども離れた、「世界でいちばん孤立した有人島」と呼ばれる場所だそうです。その島のあちこちに、大きな顔の石像、モアイが立っています。……この顔、誰でも一度は見たことがあると思うんです。図鑑でも、テレビの不思議特集でも、常連中の常連ですよね。

でも実は、どうやって運んだのか、なぜあんなにたくさん倒れているのか、今もはっきりした答えは出ていないようです。説はいくつもあって、研究者の間でも意見が分かれている。そういう話は、このサイトの得意分野です。この記事では、確認できていることを出典つきでザックリ並べて、そのあとは僕の感想をたっぷり書いていきます。信じるか信じないかは、あなた次第です。

まず島とモアイの話。900体ほどが、草原に点々と立っているそうです

ユネスコの世界遺産のページによると、島には900体ほどのモアイと、300を超える祭壇「アフ」があると見積もられているそうです。モアイは先祖をかたどったものと考えられていて、もともとはアフの上に並んで、集落の方を向いて立つのが基本の形だったようです。高さは小さいもので2メートルほど、大きなものでは20メートル近く。重さも、数十トンになるものがあると言われています。頭の上に、赤い石でできた「プカオ」という、髪を結ったような飾りを乗せたものもあるそうです。

作られたのは、おおむね10世紀から16世紀ごろにかけて、と紹介されることが多いようです。そして1995年には、島の国立公園がユネスコの世界遺産に登録されました。遠く離れた小さな島で、外の文化とほとんど関わらないまま、これだけのものを作り続けた。そのことが評価されたようです。

確認できていること:ユネスコの世界遺産センターの紹介によると、ラパヌイ国立公園は1995年に世界遺産に登録され、島はチリ本土の海岸から約3,700キロ離れていて、モアイは約900体、アフは300以上あると見積もられています。

採石場ラノ・ララク。作りかけのモアイが、今も斜面に残っているそうです

モアイのほとんどは、島の東側にあるラノ・ララクという火山の斜面で彫られたとされています。黄褐色の凝灰岩という、比較的彫りやすい岩の斜面です。そこには今も、作りかけのモアイがたくさん残っているそうです。岩盤にくっついたままのもの。斜面に立ったまま、少しずつ土に埋もれていくもの。20メートルを超えるような、途方もない大きさの未完成品もあると言われています。

そして、有名な話がこれです。斜面に「頭だけ」出して並んでいるモアイたち。あれは頭だけじゃなかったんです。発掘調査で周りを掘ってみたら、土の下に胴体も腕もちゃんとあった、ということが分かったそうです。何百年もかけて土が積もり、肩のあたりまで埋まっていったらしい。……つまり僕らはずっと、「地面から顔だけ出している人たち」を眺めていたわけです。この話は、ひとりごとの方でもう一度騒ぎます。

確認できていること:イースター島石像プロジェクト(EISP)の発掘調査を紹介した記事(ExplorersWebなど)によると、埋まっていたモアイには胴体や腕があり、背中にはカヌーなどをかたどったとされる彫刻も確認されたそうです。

どうやって運んだのか。「歩いた」説と、そり説で、意見が分かれているようです

最大の謎はこれです。数トンから数十トンもある石像を、採石場から島のあちこちのアフまで、どうやって運んだのか。

古くからあるのは、そりや丸太の上に乗せて、引いたり転がしたりした、という説です。たくさんの木と、たくさんの人手が要る運び方ですね。もう一つが、島の人たち自身の言い伝えに沿った説。モアイは「歩いた」と、島では代々伝えられてきたそうです。研究者のテリー・ハント氏とカール・リポ氏たちは、頭にロープを結んで左右に揺らしながら、立ったまま少しずつ前へ進ませる方法を実験で試したそうです。20人足らずの人数で、数トンのレプリカを「歩かせる」ことができたと紹介されています。モアイの体が少し前へ傾いていて、お腹が出ていて、底の形も揺らすのに向いている。そういう作り自体が、この説の根拠の一つだそうです。

もちろん、実験で「動かせた」ことと、昔の人が「そうやって運んだ」ことは、別の話です。運ぶ途中で倒れてしまったと見られるモアイが、昔の道沿いに残っているとも言われていますが、決着はまだついていないようです。

確認できていること:スミソニアン誌によると、2012年の実験では18人ほどで約5トンのレプリカを動かすことができ、2025年にも3Dモデルなどを使った裏付けの研究が発表されたと紹介されています。ただし、そりや丸太を使う説を支持する見方も根強く残っているようです。

倒れたモアイと、島の衰退。こちらも説がいくつもあって、決着はついていないようです

島では、立っているモアイより、倒れたモアイの方が目につく、という話も聞きます。うつ伏せに倒れたもの、割れてしまったもの。モアイ作りはおおむね17世紀までで終わり、その後は倒されていったとされていますが、理由については説がいくつもあります。

よく知られているのは、ジャレド・ダイアモンド氏が広めた見方です。森を切りすぎて環境が壊れ、土地が痩せて食料が減り、部族同士の争いが起きて、社会が崩れていった、という筋書きです。一方で、ハント氏たちは違う見方をしています。森が減った大きな要因は、人間と一緒に島へ来たネズミが、ヤシの実や種を食べてしまったこと。人口もそこまで多くはなくて、本当の意味での崩壊は、ヨーロッパの人たちと接触してから、病気や奴隷狩りによって起きたのだ、というのです。

ユネスコのページでも、資源の枯渇が危機を招いたという話は「いくつかの研究によると」という書き方にとどめています。つまり、ここもまだ、決着のついていない話なんですよね。

確認できていること:ユネスコの紹介によると、外から持ち込まれた病気や奴隷化の影響で、島の人口が100人あまりにまで減ってしまった時期があったそうです。衰退の原因については、今も研究者の間で議論が続いているようです。

おわりに

ここまでを、ぼかし気味に整理します。太平洋の真ん中の島に、900体ほどのモアイが作られたこと。採石場には作りかけが残っていて、頭だけに見える像にも体があったこと。運び方には「歩いた」説と「そり」説があって、意見が分かれていること。倒れた理由にも、森の話、ネズミの話、外から来た人たちの話と、説がいくつもあること。

分からないことだらけです。でも、だからこそ面白いんだと思います。では、ここからは僕の勝手な感想の時間です。

僕のひとりごと

さあ、ここからが本番です。確認できている話は、上にザックリ置いてきました。ここからは、僕が思ったことを、思ったままに書きます。モアイの話は、僕にとっては少し特別なんです。長いですよ。

子どもの頃の図鑑で、僕を「謎好き」にした最初のページ。僕が子どもの頃、家に世界の不思議を集めた図鑑がありました。海の向こうの草原に、大きな顔がずらりと並んでいる写真。見開きいっぱいのモアイです。説明の文には、どうやって運んだのかは分かっていない、というようなことが書かれていました。

当時の僕は、大人というのは何でも知っているものだと思っていましたから、「大人にも分からないことがある」というのが、まず衝撃でした。そしてその「分からない」が、怖いというより、ものすごくわくわくしたんです。あのページだけ、何度も何度も開きました。今思えば、僕がこういう話を追いかけるサイトをやっている原点は、あの見開きページなのかもしれません。四十年近く経っても、同じ顔を見て同じようにわくわくしている。人間、根っこの部分はあまり変わらないものですね。

大人になってからも、テレビの不思議特集でモアイが出てくると、つい手を止めて見てしまいます。番組ではたいてい、夕日の草原に並ぶ顔、顔、顔。「果たしてどうやって運んだのか」というナレーション。……何度見ても飽きないのは、あの顔に「まだ答えが出ていない」という余白が残っているからなんでしょうね。答えが出た謎は、番組では「解決済み」として小さく扱われます。モアイは今も、堂々とメインを張り続けている。謎の世界の大ベテランです。

島の人たちが「モアイは歩いた」と言い続けてきたこと。今回の話で、僕がいちばんぐっと来たのはここです。言い伝えや伝説というのは、たいてい「昔の人の作り話」として片付けられがちです。ところが今回は、その言い伝えの通りの動かし方を、研究者が実験で試してみたら、本当に動いてしまった。何百年も口伝えされてきた言葉の中に、実際の作業の記憶が、そのまま残っていたとしたら。……すごいことだと思いませんか。

もちろん、そり説が正しかった可能性も残っています。でも僕は、「歩いた」という、この言葉の響きが好きです。巨大な石像が、人の手で揺らされて、よちよちと草原を進んでいく。荒唐無稽な言い伝えだと思われていたものが、実は一番まともな説明だったのかもしれない。物語として、これ以上のどんでん返しはありません。言い伝えを笑う前に、試してみる人がいた。そのこと自体にも、僕は拍手を送りたい気持ちです。

夜中になると、モアイを揺らして歩かせる光景が頭に浮かぶんです。寝る前にこの話を考えると、だめです。想像が止まらなくなります。数十トンの石像にロープを結んで、右へ、左へ、と掛け声を合わせて揺らす。一歩分、ほんの一歩分だけ進む。また揺らす。倒れたら、それこそ大変なことになりますから、後ろで支える役の人の緊張感は、相当なものだったはずです。

採石場から何キロも先のアフまで、これを何日も続けるわけです。途中で休んで、水を飲んで、ごはんを食べて(当時の島の食事がどんなものだったかは分かりませんが)。また翌日、揺らし始める。派手な英雄譚ではなくて、これは「仕事」の想像です。重たいものを、知恵と息合わせで、少しずつ運ぶ人たちの仕事。その地道さに、僕は妙に心を動かされます。そして、あの少し前傾した体つきや、出たお腹も、歩かせるためのデザインだったのかもしれないと思うと、モアイの造形そのものが、急にいとおしく見えてくるんですよね。

想像は、坂道の場面でいよいよ暴走します。上り坂ではどうしたのか。下り坂では、勢いがつきすぎないように、後ろのロープで必死に抑えたんじゃないか。掛け声は、歌のようだったのかもしれません。作業の歌は、世界のどこにでもありますから。汗と、土ぼこりと、掛け声と、それから、ほんの少しずつ前へ出る巨大な背中。映画のワンシーンみたいに言いましたが、たぶん実際の現場は、もっと地味で、もっと真剣で、だからこそ格好よかったんだと思います。想像の中の光景に、僕は勝手に音楽まで付けてしまいます。寝不足の原因は、だいたいこの辺です。

「頭だけじゃなかった」と知ったときの、裏切られ方。発掘の写真を初めて見たとき、僕は声が出ました。肩まで土に埋まった、例の「頭」たち。掘り進めてみたら、その下に胴体があって、腕があって、お腹の前で手がそろえられていて、背中には彫刻まであったというんです。掘った研究者の人たちも、さぞ驚いたでしょう。

考えてみてください。世界中の人が、何十年も「巨大な頭の像」だと思って眺めてきたものが、実は「地面から顔だけ出している全身像」だった。僕らはずっと、上半分……いや、顔の部分だけを見て、全部を見た気になっていたわけです。地面の下では、彼らはちゃんと立っていた。なんだか、申し訳ないような、でも嬉しいような。不思議な気持ちになります。謎というのは、解けるたびに消えるのではなくて、解けるたびに姿を変えて、また大きくなっていくものなのかもしれません。

うつ伏せに倒れたモアイを見ると、少し黙ってしまうこと。立っているモアイの姿は、堂々としていて、どこか頼もしいくらいです。でも、顔から地面に倒れたモアイの写真を見ると、僕は少し黙ってしまいます。理由が何だったにせよ(争いだったのか、そうでなかったのか、今も分かっていないわけですが)、かつて大事に作られ、大事に運ばれ、大事に立てられたものが、うつ伏せになっている。その姿には、どうしようもない物悲しさがあります。

ただ、今は再び立て直されたモアイもあるそうです。アフ・トンガリキの15体のように、並んで海を背負っている姿は、写真で見るだけでも圧巻でした。人が倒し、人が立て直す。それもまた、この島の長い物語の一部なんだと思います。倒れたままの姿も、立て直された姿も、どちらも「あったこと」として残していく。ユネスコのページには、遺跡の保存では危機の時代の姿も含めて伝えることが大事だ、という趣旨のことが書かれていました。きれいな部分だけを残すのではない。その姿勢にも、僕は静かにうなずいてしまいます。

倒れたモアイの話を調べていて、もう一つ思ったのは、「倒れた理由が決着していないからこそ、僕らは今もこの島の話をしていられる」ということです。もし全部の答えが出ていたら、モアイは「昔のすごい石像」で終わっていたかもしれません。分からなさが、千年近くも人の想像力をつないできた。謎の寿命の長さに、僕はまた一つ、敬意を足しておきます。

いつか行ってみたい。でも、とにかく遠い島のこと。困りました。与那国の海底の階段、新郷村のキリストの墓に続いて、僕の「いつか行きたい場所リスト」に、ラパヌイが加わってしまいました。しかも、今回は桁違いに遠い。本土から3,700キロ離れた太平洋の真ん中です。行くだけで、人生の一大旅行になってしまいます。

それでも、想像はします。草原に立って、モアイと向かい合う自分。まず大きさに黙るのか、それとも「歩いたんだよなあ」とにやにやしてしまうのか。採石場の斜面では、頭だけ出した列を見て「下に体があるんだよな」と、また声を出してしまう気がします。倒れたモアイのそばでは、静かに手を合わせたい。……いつのことになるかは分かりません。でも、リストに入れておくこと自体が、もう楽しいんです。遠ければ遠いほど、想像の旅費はかかりませんから。

採石場に残った「作りかけ」たちに、思いをはせてしまうこと。ラノ・ララクの斜面には、完成しなかったモアイがたくさん残っているそうです。岩盤から切り出される途中だったもの。あと少しで彫り上がるはずだったもの。その話を聞くたびに、僕は彫っていた人たちの「最後の日」を想像してしまいます。

ある日を境に、作業は止まった。理由は分かりません。道具を置いて、斜面を下りて、振り返った人もいたでしょう。「あいつ、いい顔になってきたのにな」と、未練があった人もいたかもしれません。何か月も、何年もかけて彫ってきた相手です。愛着がなかったはずがないんです。完成しなかったモアイは、失敗作なんかではなくて、「途中まで本気だった証拠」なんだと思います。……と、勝手に物語を作ってしまうのが、このサイトの悪い癖でもあり、楽しいところでもあります。

頭の上の赤い「プカオ」が、なんだか粋だなと思うこと。モアイの中には、頭の上に赤い石の飾りを乗せたものがあるそうです。髪を結った姿を表したものだと紹介されることが多いようです。本体の灰色っぽい岩とは違う場所の、赤い岩から切り出して、わざわざ運んで、高い頭の上に乗せる。想像してみてください。数十トンの本体を運ぶだけでも大仕事なのに、その上にまた飾りを乗せるんです。

これはもう、実用ではなく「仕上げ」へのこだわりですよね。先祖の像を、少しでも立派に、少しでも格好よく。現代の僕らが、写真を撮るときに髪を整えたり、服を選んだりするのと、根っこは同じ気持ちなんじゃないでしょうか。千年前の島の人たちにも、「ここは手を抜けない」という美意識があった。そう思うと、モアイが急に、遠い異国の石像ではなく、人の手の跡の残る「作品」に見えてきます。

もし僕が当時の島民だったら、どの役がいいか、本気で選んでみたこと。モアイ運びの仕事には、いろいろな役があったはずです。彫る人。ロープを引く人。後ろで支える人。そして、全体を見て「右、左」と声をかける人。

僕はたぶん、ロープを引く係がいいです。難しい判断は得意じゃありませんが、声に合わせて力を出すのは好きです。……いや、待ってください。後ろで支える役も捨てがたい。倒れたら大惨事という緊張感は怖いけれど、「あの人が支えているから大丈夫」と思われる側の人間にも、憧れがあります。結局、どの役にも物語があって選べないんですよね。千年前の島で、汗だくになって石像を揺らしている自分。想像の中の僕は、現実の僕よりだいぶ働き者です。

そして帰ってきたら、僕はきっと、会う人ごとに写真を見せて回るんだろうな、と思います。「見て、この大きさ」「この斜面の下には体があるんですよ」「いや、本当に歩いたらしいんですよ」と、聞かれてもいないのに語ってしまうはずです。迷惑な客です。でも、それでいいんです。謎の話というのは、誰かに話したくなることで、また少しだけ大きくなる。与那国でも、新郷村でも、僕はずっとその「語り直し」の輪の中にいました。この記事を書いている今も、そうです。あなたがこの記事を読み終えて、誰かに「モアイってね」と話し始めたら、その時点で、モアイの物語はまた一歩、歩いたことになるのかもしれません。

さて、長くなりました。最後に、聞かせてください。あなたは、モアイはどうやって運ばれたと思いますか。ロープで揺らして「歩いた」と思いますか。それとも、そりや丸太で引かれたと思いますか。そして、倒れてしまった理由は何だったと思いますか。信じるか信じないかは、あなた次第です。僕ですか。僕は今夜も、月明かりの草原で、大きな石像がよちよちと歩いていく姿を想像して、少しだけ寝不足になる予定です。

「イースター島のモアイはどうやって運んだのか、歩いたという説と僕が夜中に考えたこと」をAmazonで探す最安値・在庫をチェック見てみる

あわせて読みたい

謎の閃光AT2018cow「カウ」とは?正体不明の明るく青い爆発
2018年6月、約2億光年かなたの銀河で、ふつうの超新星の10倍以上も明るい青い閃光が突然輝きました。「カウ」と呼ばれるこの現象の正体は、今も分かっていません。その後に見つかった仲間や最新の研究も交えて、事実と説を整理します。
ブラックホールの初撮影とは?地球サイズの望遠鏡がとらえた「影」
2019年4月10日、世界の電波望遠鏡をつないだ国際チームが、ブラックホールの姿を史上初めて画像でとらえたと発表しました。その後も天の川銀河の中心のブラックホールの撮影や、周りの磁場が変化する様子の発見など、新しい成果が続いています。

コメント

📖目次
タイトルとURLをコピーしました