青森・新郷村のキリストの墓は本当なのか、伝説と祭りと僕が見に行きたくなった話

都市伝説・陰謀論
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青森県の南の端、三戸郡新郷村という小さな村があります。その戸来(へらい)という地区の小高い場所に、草に覆われた二つの塚が並んでいて、それぞれの上に、素朴な木の十字架が立っているそうです。一つはイエス・キリストの墓、もう一つは、その弟の墓だと伝えられている場所です。……はい、いきなり何を言っているのかという話ですよね。僕も最初は、耳を疑いました。

もちろん、この話に決着はついていません。村の公式サイトでさえ、「墓であるかは判断を預ける」という書き方をしているくらいです。この記事では、まず村や観光案内で紹介されている内容を、出典を添えて短く並べて、そのあとは僕の感想をたっぷり書いていきます。信じるか信じないかは、あなた次第。決着のついていない話を、決着がついていないまま楽しむのが、このサイトの流儀です。

伝説のあらすじ。キリストは日本で修行し、弟が身代わりになったと言われています

まず、村で語られている伝説のあらすじです。キリストの里公園の案内板などによると、キリストは21歳のときに日本に渡ってきて、十数年ほど神の教えについて修行を重ねた、とされています。33歳でユダヤに戻って伝道を始めたものの受け入れられず、十字架にかけられそうになった。ところが、実際に十字架にかかったのは弟のイスキリで、キリスト本人は逃れて、シベリアを回って再び日本に戻ってきた、というのです。

そして戸来に住まいを定め、畑を耕しながら穏やかに暮らし、結婚して子どもにも恵まれ、106歳でこの地で亡くなった、と伝えられています。塚は二つ。一つはキリストを葬った十来塚(とらいづか)。もう一つは、身代わりになった弟イスキリの遺髪などを納めた十代墓(とだいぼ)だ、と言われています。

数字については諸説あるようで、亡くなった年齢を118歳だと唱えた人もいたそうです。若い頃の修行先についても、語る人によって少しずつ違うようです。この先も、数字はぼかし気味に書いていきます。何しろ、二千年前の話を、二十世紀になってから聞かされているわけですから。

確認できていること:青森県観光情報サイト「Amazing AOMORI」のキリストの里公園の紹介によると、この公園は、キリストが新郷村に渡来して106歳の生涯を閉じた、という伝説にもとづいて整備されたもので、園内にはキリストと弟イスキリの墓とされる塚がある、と紹介されています。あくまで「伝説にもとづいて」という位置づけのようです。

始まりは1935年。竹内文書と、竹内巨麿氏の来村だと言われています

では、この伝説はいつ、どうやって始まったのか。多くの資料が指さすのは、1935年(昭和10年)のことです。茨城県の磯原(現在の北茨城市)にあった皇祖皇太神宮の竹内家に伝わる古文書、いわゆる竹内文書の中に、キリストが日本に渡ったという話が出てくるのだそうです。その教主だった竹内巨麿(たけうち きよまろ)氏が、古代史に関心を持つ人たちと一緒に戸来村を訪れ、竹やぶの中にあった二つの土の塚を見て、「ここだ」と言った、と伝えられています。

きっかけの一つには、当時の戸来村の村おこしもあったようです。村長だった佐々木伝次郎氏が、観光に力を入れようと日本画家の鳥谷幡山(とりや ばんざん)氏を村に招いた、という話が残っています。鳥谷氏は竹内文書に親しんでいた人で、村の山を古代のピラミッドに見立てたりもしたそうです。村おこしの熱と、古代史へのロマンが、ちょうど同じ場所で出会ってしまった。そんな流れだったのかもしれません。

翌1936年には、調査に来た人たちによって「キリストの遺書」が見つかった、という話まで出てきたそうです。その後も、山根キク氏という研究者の本などでこの話は広がっていったと言われています。

確認できていること:新郷村の公式サイトによると、「ゴルゴダの丘で磔刑になったキリストが実は密かに日本に渡っていた」という仮説は、竹内家に伝わる竹内古文書から出てきたもので、昭和10年に竹内氏自ら新郷村を訪れてキリストの墓を発見した、と紹介されています。村自身の書き方も、「仮説」という言葉を使っているところが印象的です。

塚のある土地は、沢口家という旧家の墓所の一角だそうです

ここで、僕が個人的にいちばん面白いと思った話が出てきます。あの二つの塚は、もともと沢口家という、この土地の旧家の裏山にある、代々の墓所の一角なのだそうです。毎日新聞社の取材を引いた資料などによると、そのあたりには沢口家の墓石が100基ほども並んでいて、二つの塚については、昔から「大きな館があった跡で、偉い人の墓だ」という言い伝えがあったそうです。

つまり1935年の出来事よりずっと前から、この塚は地元の人たちに、それなりに大事にされていた場所だったようなのです。誰の墓かは分からないけれど、偉い人の墓らしい。だから世話をしてきた。そんな場所に、ある日突然、「キリストの墓です」と名前が付いたわけです。

その後には、キリストはこの地で「ユミ子」という女性と結婚して3人の子どもをもうけ、その子孫が沢口家なのだ、という話まで広がったと言われています。沢口家は今も続いていて、キリスト祭りには当主が臨席するそうです。家の家紋が、ダビデの星に似た星形だという話も、よく紹介されています。

確認できていること:新郷村ふるさと活性化公社の担当者へのインタビュー(クリスチャンプレス)によると、墓はもともと沢口家の私有地で、行政は管理を任されている立場だそうです。また、その場所は「御子の墓」と呼ばれ、田植えの後に魂を慰める行事が行われていたのが、祭りの起源と伝えられているそうです。

村に残る、ちょっと不思議な風習の数々

塚だけではありません。新郷村の公式サイトには、「新郷村のミステリー」として、村に残る不思議な風習がまとめられています。たとえば、地名の戸来は、ヘブライが語源だという説。父親をアヤまたはダダ、母親をアパまたはガガと呼ぶこと。子どもを初めて野外に出すとき、額に墨で十字を書くこと。足がしびれたとき、額に十字を書くこと。ダビデの星を代々家紋とする家があること。

そして、祭りで歌われる「ナニヤドヤラー、ナニヤドナサレノ」という、意味の分からない節回しの唄。この唄は、戸来だけのものではなく、青森県南から岩手県北にかけての旧南部領に広く伝わる盆踊り唄「ナニャドヤラ」の一節とされていますが、ヘブライ語がもとだという説を唱える人もいたそうです。

もちろん、一つひとつには「たまたま似ていただけ」という見方もできるのでしょう。でも、こういう小さな「似ている」がいくつも並ぶと、人はつい、物語を組み立てたくなります。僕もその一人です。

確認できていること:上記の風習の数々は、新郷村の公式サイト「キリストの墓」のページで、村自身が「新郷村のミステリー」として紹介しているものです。村はこれらを、結論ではなく「ミステリー」として提示しているようです。

キリスト祭り。神主さんが祝詞を読み、塚のまわりで盆踊りをするそうです

この村では、毎年6月の第1日曜日に「キリスト祭」が開かれているそうです。始まりは1964年(昭和39年)だと伝えられています。その年は東京オリンピックの年で、村にも何か目玉がほしい、という空気があったようです。最初の頃は「祭りというより、ただの集まりのようなもの」だったと、当時の村長が振り返っているそうです。

式の進み方が、とにかく独特です。まず神主さんによる祝詞の奏上と玉串奉奠。つまり、キリストの霊を慰めるのに、神道の形式でお祈りをするわけです。続いて獅子舞の奉納、キリストの墓を題材にした短歌の表彰式、そして最後は、塚のまわりを囲んでの盆踊り「ナニャドヤラ」の奉納。人口3,000人足らずの村に、多いときは1,000人以上が集まることもあるそうです。

祭りのポスターには、「考えるな、踊れ。」というコピーが添えられているそうです。真実か伝説か、と理屈をこねる前に、まず踊れ。この一言に、この祭りのすべてが詰まっている気がします。

塚のそばには、1996年に開館したとされる「キリストの里伝承館」という資料館もあって、伝説のもとになった古文書や当時の資料が展示されているそうです。公園と資料館と祭り。村はこの伝説を、隠すでもなく、押しつけるでもなく、村の宝物として表に出し続けているようです。

確認できていること:青森県観光情報サイトのキリスト祭りの体験レポートなどによると、祭りはキリストの里公園で開かれ、神事、獅子舞、ナニャドヤラの奉納が行われてきたと紹介されています。1964年に始まったという点も、複数の観光案内や地元報道で共通しているようです。また、PRESIDENT Onlineは、第60回の祭りのポスターに「考えるな、踊れ。」というコピーが添えられていたと紹介しています。

研究者の見方は冷静で、村の人は真偽より「弔うこと」を大事にしているようです

さて、専門家の見方はどうなのか。宗教学者の岡本亮輔氏は、身代わりになったとされる「イスキリ」という人物は聖書には登場しないこと、この伝説を裏づける確かな歴史的資料はないことを指摘しているそうです。村の歴史をまとめた『新郷村史』でも、この話は「伝説」と呼ぶより「湧説(ようせつ)」、つまり湧いて出た説、と呼ぶのがふさわしい、という扱いになっていると言われています。歴史の話として見れば、1935年に現れた、近代の説だという見方が一般的なようです。

一方で、村の人たちの受け止め方が、僕はとても好きです。岡本氏の聞き取りなどによると、住民の多くは「本当にキリストの墓だ」と史実として信じているわけではないそうです。それでも、塚は竹内氏が来る前から尊重されてきた場所だということ、そして弔うこと自体を大事にすること。この二つは、真偽の話とは別に、静かに守られてきたようなのです。

村の公式サイトが「墓であるかは判断を預ける」と書く感じ。観光案内が「伝説にもとづいて整備された公園」と書く感じ。誰も断定しない。でも、誰も見捨てたりもしない。この距離感こそが、この話が90年近くも生き延びてきた理由なのかもしれません。

確認できていること:岡本亮輔氏の指摘や『新郷村史』の扱いは、Wikipedia「キリストの墓 (日本)」などでも紹介されています。またクリスチャンプレスのインタビューで、村の担当者は「大事なのは伝承の真偽ではなく、弔うこと、そして先代から受け継いだものを次に渡していくことです」という趣旨の話をしています。

おわりに

ここまでを、ぼかし気味に整理します。青森県新郷村の戸来に、十字架の立つ二つの塚があること。その塚に、キリストが日本で生涯を終えたという伝説が結びついたのは、1935年に竹内文書を持った人たちが村を訪れたのが始まりとされていること。塚のある土地は旧家の墓所で、それより前から「偉い人の墓」として世話をされてきたらしいこと。そして1964年からは、神事と盆踊りの祭りが続いてきたこと。

伝説そのものは「らしい」「そうです」の世界です。でも、塚が実在して、祭りが実在して、守ってきた人たちが実在する。その部分は、写真でも映像でも確認できます。物語の真偽と、物語を大事にしてきた人たちの営みは、別の話として、どちらも眺める価値がある。僕はそう思います。

それでいい、と僕は思います。このサイトで扱いたいのは、まさにこういう、はっきりしない話です。答えは今日も出ませんでした。でも、考える楽しさは置いておきます。では、ここからは僕の勝手な感想の時間です。

僕のひとりごと

さあ、ここからが本番です。確認できている話は、上に置いてきました。ここからは、僕が思ったことを、思ったままに書きます。長いですよ。覚悟してくださいね。

子どもの頃のミステリー本に、必ず載っていた話。僕は子どもの頃、図書館で世界のミステリーの本を借りては、むさぼるように読んでいました。ネッシー、ツチノコ、古代文明、海に沈んだ大陸。そして、その手の本の日本の章に、決まって出てきたのが、この話でした。「キリストは日本で死んだ」。青森の山奥に、キリストの墓がある。

当時の僕は、半分信じて、半分わくわくしていました。大人になった今、その村の話を、こうして自分のブログに書いている。人生は分からないものですね。子どもの頃の僕が見たら、きっと目を丸くすると思います。「おっさんになった僕は、相変わらず同じような話を追いかけているよ」と教えてあげたいくらいです。

時代は変わって、今はスマホで検索すれば、たいていの謎には「解説」が付いてきます。便利な反面、「諸説あります」の余白は、どんどん狭くなっている気がします。その点、この新郷村の話は、検索しても白黒がつかないどころか、村の公式サイト自体が「判断を預ける」と書いている。令和の時代に、こんなに堂々とはっきりしない話も、珍しいんじゃないでしょうか。

青森の山の中に、十字架の塚があるという風景。僕はまだ現地に行ったことがありません。でも、写真で見た、あの風景が頭から離れないんです。緑の山に囲まれた静かな村。誰もいない小高い場所に、草の塚が二つあって、木の十字架が立っている。

エルサレムというと、石の街並みと、強い日差しと、大勢の巡礼者のイメージです。その対極みたいな、青森の山の緑と静けさの中に、キリストの墓だとされる塚がある。この「場所のミスマッチ」感が、僕はたまらなく好きなんです。世界の歴史のど真ん中の話が、日本の山村の片隅に、ぽつんと置かれている。その違和感そのものが、もう物語として完成している気がします。

雪の季節の写真も見たことがあります。白い雪に埋もれた塚と十字架。それはそれで、とても静かで、厳かな眺めでした。……まあ、僕が行くなら、雪のない季節にしますけれど。寒いのは、得意じゃありませんから。

弟イスキリのこと。身代わりになった弟にまで、塚がある優しさ。この伝説で、僕がいちばん心を動かされるのは、実はキリスト本人よりも、弟のイスキリの方です。

聖書には出てこない弟だそうです。名前の由来も、よく分からないそうです。兄の身代わりになって十字架にかかった、と伝えられている人。その人の「遺髪と耳」が、はるばる日本まで運ばれて、塚に納められたと言われています。……耳ですよ、耳。突っ込みどころではあるんです。あるんですけれど、同時に、なんだか切なくもあるんですよね。身代わりになって死んだ弟のことを、兄は忘れなかった。せめて髪と耳だけでも、自分のそばに。物語として読むと、これは兄弟の話として、かなりぐっと来ます。

そして何より、村の人たちは、その弟にまで塚を用意して、「十代墓」という名前まで付けている。主役の横に、きちんと弟の席もある。脇役をぞんざいに扱わない物語は、良い物語だと思います。イスキリという人が実在したかどうかは分かりません。でも、彼を弔う塚が90年近く守られてきたことは、村の優しさとして、僕の心に残りました。

「考えるな、踊れ!」ということ。今回の記事のために色々と調べていて、いちばん笑って、いちばん感動したのが、キリスト祭りの話でした。

まず、形式がすごいです。キリストの霊を慰める祭りなのに、執り行うのは神主さんで、祝詞が読み上げられ、玉串が捧げられる。そのあと獅子舞が舞って、最後は盆踊りです。キリスト教と神道と仏教の盆の文化が、一つの祭りの中で、何の衝突もなく同居している。これぞ日本、という感じがして、僕は誇らしくすらなります。初めの頃には牧師さんを招いた年もあったそうですが、どうも雰囲気が合わなかったそうで、神事の形に落ち着いたという話も、なんとも日本的で好きです。

そして、祭りのポスターにもなった「考えるな、踊れ!」です。真実か伝説か、その答えを急ぐよりも、まず踊れ。……名言だと思いませんか。理屈で固める前に、輪に入って、一緒に踊って、汗をかいて、霊を慰める。答えの出ない話との付き合い方として、これ以上に大らかで、健康的な答えを、僕は他に知りません。

人口3,000人足らずの村に、多いときは1,000人以上が集まるそうです。村民の3人に1人分ですよ。みんなで塚を囲んで、意味の分からない古い唄を歌いながら踊る。その光景を想像するだけで、胸が温かくなります。来年の6月、僕の足が青森に向いていたら、それはこの一言のせいです。

沢口家という、墓守の家のこと。もう一つ、心に残ったのが沢口家の話です。

考えてみてください。1935年に外から来た人たちが「ここはキリストの墓だ」と言い出した、その前から、この家はあの塚のある山を、先祖代々の墓所として守ってきたわけです。「偉い人の墓だ」という言い伝えと一緒に、です。その後、世間では塚の名前が「キリストの墓」に変わり、観光客が来るようになり、祭りまで始まった。それでも沢口家は、そこに居続けて、今も祭りには当主が出席しているそうです。

「キリストの子孫」とまで言われるようになった家の心中は、僕には想像もつきません。迷惑な部分も、きっとあったはずです。でも、結果として、この家が塚を守り続けてきたからこそ、伝説は「場所」を失わずに済んだ。物語には、語る人だけでなく、場所を守る人が必要なんだと思います。ロマンの陰に、草刈りをして、雪かきをして、代々世話をしてきた人たちがいる。その当たり前の営みに、僕は一番の敬意を感じます。

真偽を急がない、という大人の態度。今回調べていて、村の公式サイトの「墓であるかは判断を預ける」という一文に、僕は妙に感心してしまいました。

普通、観光地というのは、もっと断定的に宣伝するものです。「日本で唯一!」「あのキリストが眠る!」みたいに。でもこの村は、そこを一歩引いている。伝説は伝説として紹介する。資料館には当時の原著や報道も展示して、来た人が自分の価値観で考える。押しつけないし、茶化しもしない。

住民の多くは、史実だとは思っていない、と言われています。でも、弔いは真剣だし、祭りは60年以上続いてきた、村の大事な行事だそうです。信じているかどうかと、大事にするかどうかは、別の話なんですよね。大人になると、そういう「白黒つけないまま、大事にする」という態度が、実は一番難しいことが分かります。この村は、それをさらりとやってのけているように見えます。

行ってみたい欲が、また膨らんでしまったこと。困りました。与那国の海底の階段に続き、僕の「いつか行きたい場所リスト」に、新郷村が加わってしまいました。

行き方は、八戸まで行って、そこから車、という感じになるようです。祭りのある6月の第1日曜日を狙うのが一番楽しそうですが、塚と伝承館だけなら、静かな時期に行って、誰もいない丘でぼんやりするのも良さそうです。村には「キリストラーメン」なるものもあって、六芒星の形のなるとが乗っているそうですし、塚の横には「キリストっぷ」という、そのままの名前の売店もあるそうです。こういう、力の抜けた便乗の仕方も、僕は嫌いじゃありません。むしろ大好きです。

現地で僕は、何を感じるんでしょうね。塚を前にして、「本当にここに……」としんみりするのか、「やっぱり、ただの塚だ」と笑うのか。それは行ってみないと分かりません。分からないからこそ、行く価値がある。与那国のときにも書きましたが、答え合わせではなく、自分の目と心がどう反応するかを確かめに行く旅。それが、こういう話の正しい楽しみ方なんだと思います。

帰りには、売店でタオルかお菓子でも買って帰るんだろうな、とも思います。そういう自分の姿が目に浮かぶあたり、僕はもう、この村の物語の立派な参加者の一人なのかもしれません。それも悪くない話です。

「太郎」と呼ばれたキリスト、という話の味わい。調べている中で、思わず声を出して笑ってしまった話が、もう一つあります。鳥谷幡山氏の語るところでは、日本に定住したキリストは「八戸太郎」とか「十来太郎天空」という名前を名乗ったのだそうです。……太郎ですよ。救世主が、太郎。

しかも、その赤ら顔で鼻の高い姿が、天狗伝説のもとになった、とまで言われているそうです。十和田湖の主として知られる「八之太郎」も、キリストのことなのだとか。どこまで本気の話なのかは分かりませんが、遠い異国の聖者を、無理やりにでも地元の言葉と伝説の棚に並べてしまう、この土地の人々の「受け入れ力」のようなものを感じます。外から来た大きな物語を、そのまま飾るのではなく、自分たちの村の話に編み直してしまう。それって、物語を長生きさせる秘訣なのかもしれません。

ちなみに鳥谷氏は、村の近くの山を古代のピラミッドだとも考えたそうです。キリストの墓にピラミッドに天狗。ひとつの村に、これだけロマンが密集している場所も珍しいんじゃないでしょうか。新郷村は、ミステリーの盛り合わせ定食みたいな村です。どれから箸を付けようか迷うのも、また楽しいんですよね。

生まれて90年の物語が、本物の伝統になっていくこと。冷静に考えると、この伝説の始まりは1935年です。まだ90年ほどしか経っていません。曾おじいちゃんの世代の出来事です。歴史の教科書の話と違って、「始まった瞬間」が記録に残っている物語なんですよね。

普通、そういう「新しい物語」は、軽く見られがちです。でも僕は、ここがこの話の一番すごいところだと思うんです。始まりが分かっているのに、村の人たちはそれを捨てなかった。慰霊を続け、祭りに育て、資料館まで建てて、今では「村のアイデンティティ」とまで言われるようになった。60年以上続いた祭りは、始まりが何であれ、もう立派な伝統です。伝統というのは、古いから尊いのではなく、人が守り続けるから尊くなる。新郷村の90年は、そのことを静かに物語っている気がします。

与那国の海底地形もそうでしたが、謎の価値は、真偽だけでは測れません。その謎のまわりに、どれだけの人の時間と気持ちが積み重なったか。この村の塚の上には、90年分のそれが、積もっていると僕は思います。……ほら、こうやってすぐに強い言い方をしたくなるんです。それくらい、この村の積み重ねには、説得力のようなものがあるんですよね。

さて、長くなりました。最後に、聞かせてください。あなたは、青森の山の中のキリストの墓、どう思いますか。本当にキリストがたどり着いた場所だと思いますか。それとも、90年前に生まれた村のロマンだと思いますか。信じるか信じないかは、あなた次第です。僕ですか。僕は、来年の6月、ナニャドヤラの輪の外側で、もじもじしながらも小さく踊っている自分の姿を、つい想像してしまいます。考えるな、踊れ。……このコピーを考えた人、名言をありがとうございます。

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