与那国島の海底地形は本当に遺跡なのか、海に沈んだ階段の正体

都市伝説・陰謀論
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日本のいちばん西にある島、沖縄県の与那国島。その南の海の底に、階段とテラスを持った巨大な石の構造物が沈んでいます。写真を見る限り、どう見ても誰かが造った神殿かピラミッドの跡です。ところが、専門家に言わせると、これは自然の地形だというのです。

ミステリー番組やYouTubeの動画で何度も取り上げられてきた、この「与那国島海底地形」。遺跡だという研究者と、自然だという研究者が、もう40年近く真っ向から対立しています。この記事では、発見のいきさつから、遺跡説と自然説の両方の主張、そして今の学術的な主流がどちらなのかを、話題ごとに分けてたどっていきます。信じるか信じないかは、あなた次第です。でも、まずは写真の「何だこれ」感を、僕と一緒に味わってください。

発見は1986年、ハンマーヘッドを探していたダイバーだった

物語の始まりは1986年です。与那国島の地元ダイバーで、与那国町観光協会の理事だった新嵩喜八郎氏が、島の南端、新川鼻の沖で新しいダイビングポイントを探していました。目当ては、この海で群れをなすハンマーヘッドシャーク、シュモクザメです。

ところが、海底で彼が出会ったのはサメの群れではなく、階段状に連なる巨大な岩でした。平らな面、直角に折れ曲がる壁、段々に積み上がったテラス。どう見ても、ただの岩礁には見えません。新嵩氏はここを「遺跡ポイント」と名づけ、ダイビングスポットとして調査を続けました。サメを探しに行って古代遺跡みたいなものを見つけてしまうあたり、人生何が起こるか分からないものです。

その情報が琉球大学に届き、1992年からは大学の海底調査団による本格的な調査が始まります。そして1995年、地元紙に大きく取り上げられたことで、この海底地形は全国区の謎になりました。

確認できていること:笹川平和財団のOcean Newsletterによると、1986年に地元ダイバーの新嵩喜八郎氏が階段構造を見つけて「遺跡ポイント」と名づけ、その情報提供をもとに1992年から琉球大学海底調査団の調査が実現したとされています。与那国町の海底遺跡年表にも、1986年に新川鼻の海底で奇妙な地形が発見された記録が残っています。

どれくらい大きいのか、階段とテラスを見てみる

まず大きさです。中心となる岩塊は、水深約25メートルの海底から立ち上がり、いちばん浅いところでは水面下約5メートルまで届きます。ビルの8階分ほどの高さを、海の中で丸ごと上るイメージです。しかも、この地形が広がる範囲全体では、東西約250メートル、南北約150メートルにもなると言われます。サッカー場が何面もすっぽり入る広さです。

姿も尋常ではありません。幅の広い平らなテラスが何段も重なり、その間を階段のような段差がつなぎ、壁は直角に切り立っています。遺跡説の側が名前を付けた見どころもあって、柱を立てた穴のように見える「柱穴」や、通路のように見える直線の溝、広場のような平坦面などが紹介されてきました。

正直に言います。僕も最初に写真を見たとき、「自然にこんな直角ができるわけがない」と思いました。エジプトの階段ピラミッドを、そのまま海に沈めたような姿です。でも、ここからがこの話の面白いところで、この「直角」こそが、自然説の側の最大の武器にもなるのです。

確認できていること:沖縄観光情報WEBサイト「おきなわ物語」によると、与那国島の海底に眠る巨石群は全長約100メートル、幅約60メートル、高さ約25メートルで、階段や石柱など人工構造物のようにも見える地形がどのようにできたのかは現在も調査中と紹介されています。地形全体の広がりについては、東西約250メートル、南北約150メートル、高低差約25メートルと説明されることが多いです。

遺跡だという側の主張、木村政昭氏の調査

遺跡説の中心にいるのが、琉球大学の海洋地質学者、木村政昭氏(現在は名誉教授)です。木村氏は1992年以来、この海底地形を何度も潜って調査し、三次元の音波探査なども行ってきました。その回数は100回以上とも言われます。

木村氏の見立てでは、平坦な主テラス、直角に曲がる側壁、柱穴とされる穴、ループ道路と呼ばれる通路のような構造などがそろっていて、とても自然の偶然では説明できない、というものです。そして、海底にある以上、造られたのは海面が今よりずっと低かった時代、およそ1万年前ごろに陸上だった時期に作られ、その後の海面上昇で沈んだのではないか、という見方を示してきました。もし本当なら、日本どころか世界の古代史を書き換える大発見です。

1998年には、沖縄県に「遺跡発見届け」も提出されました。ここまで聞くと、いよいよ本物かと思ってしまいます。ところが、県の判断は違いました。人が関与した痕跡があると判断できない、という理由で、遺跡としては認定されなかったのです。この「届けは出たが認められなかった」という事実が、この話の現在地をよく表しています。

確認できていること:与那国島海底地形(Wikipedia)によると、1992年以来、琉球大学教授だった木村政昭氏を中心に調査が行われ、1998年に沖縄県文化局へ遺跡発見届けが提出されましたが、沖縄県は人が関与した痕跡があると判断できないとして、遺跡とは認定していません。木村氏の人工説は、あくまで木村氏側の主張として紹介されているものです。

自然の地形だという側の説明、砂岩が直角に割れる理由

では、自然説はあの直角をどう説明するのか。鍵は、岩の種類です。この海底地形は、約2,000万年前の八重山層群と呼ばれる砂岩と泥岩でできています。砂岩には、堆積したときの層の境目である「層理面」と、地震などの力で入る直線的な割れ目「節理」があります。

砂岩は、この層理と節理に沿って、包丁で切ったようにまっすぐ割れる性質を持っています。水平の割れ目と垂直の割れ目が組み合わされば、階段、テラス、直角の壁が、人の手なしに次々と生まれるというわけです。そこに黒潮の強い潮流や波の侵食が加われば、角はさらに際立っていきます。

実際に現地を潜った海外の地質学者、ボストン大学のロバート・ショック氏も、1997年の調査ののち、この地形は基本的に自然のものだという見解を示しました。決め手のひとつが、陸上との比較です。与那国島の南岸には「三人台」をはじめ、海の中とそっくりな階段状の岩場が陸の上にもあるのです。誰も古代遺跡だと言わない陸の岩が、海の中の岩と同じ形をしている。これは自然説にとって、かなり強い材料です。

そして2019年、尾方隆之氏ら琉球大学などの研究者が、地形データと現地の地質調査をもとに分析した結果を発表しました。結論は、海底地形は人工物らしく見えるものの、砂岩の層理と直線的な節理に沿った風化と侵食でできた自然の地形だ、というものでした。道具の加工痕や、人の暮らしを示す遺物が確認されていないことも、自然説を後押ししています。

確認できていること:英語版Wikipediaの与那国モニュメントの項目によると、地質学者のロバート・ショック氏はこの地形を基本的に自然のものと考え、2019年に尾方隆之氏らの研究でも、デジタル標高モデルと地質調査の結果、砂岩の層理と直線的な節理への風化・侵食作用でできた自然地形だと結論づけられています。よく似た地形は、与那国島南岸の陸上にある三人台などでも見られることが、その根拠のひとつです。

公式には遺跡ではない、それでも人は潜りに行く

現在の公式な扱いを整理すると、この海底地形は文化庁にも沖縄県にも、遺跡や文化財としては認められていません。学術的な主流も、自然地形説です。遺跡説は、木村氏ら一部の研究者と、それを紹介するメディアが支えている、というのが冷静な現在地だと思います。

それでも、与那国島にとってこの場所は、かけがえのない宝物です。「遺跡ポイント」は今も人気のダイビングスポットで、世界中からダイバーが潜りに来ます。流れが強い海なので、ある程度の経験が必要なポイントと案内されていますが、潜れない人向けに、半潜水型の観光船から海底地形を眺める楽しみ方もあります。

遺跡かどうかが決着しないからこそ、人は自分の目で確かめに来る。僕はこの状態、嫌いではありません。謎が解けてしまったら、ただの岩場になってしまうかもしれないのですから。

確認できていること:沖縄観光情報WEBサイト「おきなわ物語」によると、与那国の海には海底遺跡をはじめとする人気のダイビングスポットがあり、この海中風景はダイビングのほか半潜水海底観光船でも楽しむことができると紹介されています。一方で公式には、この地形は遺跡とは認められていません。

おわりに

与那国島の海底地形について、ここまでを整理します。1986年にダイバーが見つけた巨大な階段状の岩があること、その姿が人工の建造物に見えることは、事実です。木村政昭氏らが遺跡だと主張し続けていることも事実です。けれど、砂岩が層理と節理に沿って直角に割れること、陸上にもよく似た地形があること、そして2019年の研究が自然地形と結論づけたことも、同じくらい重い事実です。

今の学術的な主流は、はっきり自然説です。ただ、100パーセントの証明という意味では、まだ完全な決着とは言い切れない部分も残ります。人が手を加えた可能性まで完全に否定できるのか。この問いに答えるには、これからの調査を待つしかありません。海の中の謎は、今日も静かに、与那国の南の海に沈んでいます。

僕のひとりごと

いやあ、何度見てもあの写真はすごいですね。

海の底に、きれいに段になった石のテラスがあるんですよ。初めて見たときの僕の感想は、完全に「これ遺跡だろ!」でした。だって直角ですよ、直角。自然界って、もっとこう、ゴツゴツしたり丸まったりするものじゃないですか。定規で引いたような直線と平らな面を見せられたら、誰だって古代文明を夢見ます。

ところが今回、自然説の説明を読んで、僕はだいぶ揺れました。

豆腐みたいに割れる岩、という衝撃

砂岩が層と割れ目に沿ってまっすぐ割れる、という話。言われてみれば、豆腐は包丁を入れなくても、切り目に沿ってきれいに分かれますし、氷だって割れ目に沿ってパキッと直線に割れます。岩も同じで、割れやすい方向が決まっているなら、直角の階段ができること自体は不思議ではないんですね。

しかも決定的なのは、陸の上にも同じ形の岩場があること。三人台という場所の写真を見ると、本当に海の中の地形とそっくりなんです。あれを見せられると、「海底遺跡」の看板は、ちょっと揺らぎます。陸の岩場を誰も遺跡だと言わないのは、最初から岩だと思って見ているからで、海の底にあると急に遺跡に見えるのは、人間の目が物語を求めているからなのかもしれません。

それでも、木村先生の情熱は嫌いじゃない

一方で、木村政昭氏のことも、僕は簡単に笑えないと思っています。

100回以上も潜って、何十年も同じ場所を調べ続けるって、並の情熱ではできません。主流の学説に「違う」と言い続けるのは、学者としてかなり勇気のいることですし、間違っていたとしても、あれだけ調査した人がいたからこそ、この地形のデータはこれだけ残ったわけです。謎を謎のまま残さず、潜って、測って、届けまで出した。その行動力には、正直、敬意しかありません。

科学の世界って、多数派がいつも正しいとは限りませんし、かといって情熱があれば少数派が正しいわけでもありません。結局、証拠がすべてなんですよね。与那国の場合は、加工した跡や遺物という「動かぬ証拠」が、まだ出てきていない。だから主流は自然説。それはそれで、筋の通った話だと思います。

遺跡じゃないなら、つまらないのか

僕が今回いちばん面白いと思ったのは、ここです。もし自然の地形だと確定したら、この場所はつまらなくなるのか。

ならないと思うんです。約2,000万年前の砂の層が、地震と割れ目と黒潮の流れに削られて、結果的に人間が造った神殿そっくりの形になった。それはそれで、とんでもない偶然の物語です。自然が何万年もかけて、誰に見せるつもりもなく海の底に階段ピラミッドを彫っていた。そう考えると、むしろロマンは増すくらいです。

とはいえ、ですよ。もし将来、あの柱穴とされる穴から本物の道具の跡が見つかったり、人工物がぽろっと出てきたりしたら。日本中のミステリー好きがひっくり返るでしょうね。僕はそのニュースを、このブログで大喜びで書く自信があります。

行ったことのない与那国島ですが、いつかあの半潜水の観光船に乗って、ガラス越しにあの階段を眺めてみたいものです。潜れない僕でも、それなら確かめられますからね。そのとき僕が「やっぱり遺跡に見える!」と言うかどうかは、海の透明度と、その日の僕のロマンの残量次第です。

さて、あなたはどう思いますか。与那国島の海底地形、遺跡だと思いますか。それとも、自然の造った芸術だと思いますか。

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